どうも、こんにちは。
ついに先日、社会人10年目を迎えましたが10年経って気づいたことは「自分はそんなに成長していない」ということ。
なんでかって言うと理由ははっきりしないが「勉強する時間を作らなかった」と言うのが大きな要因なのかもしれない。
勉強って一言で言っても、英語を勉強する、Excelを勉強するとか色々あるけど、ようは仕事に役立つ勉強をしてこなかったのが今になって後悔していて、30代前半になった今では必死になって勉強している。
さてそんな最中ですが、最近自分に言い聞かせていることがあって、それは『仕事が「できる」「できない」は気にしなくていい』ということ。
これは結構悩んでいる方も多いのではと思うんだけど、僕はこの十数年これにすごく悩まされた。
この記事ではこの『仕事ができる・できない問題』について僕の考えを書いていこうと思う。
「頭が悪い=仕事ができない」ではなくて「考えない人=仕事ができない」
10年も社会人をやっていると同期や同僚、上司、取引先や同業者など合わせて何百人という方とお会いしたが、十人十色という言葉があるように本当にいろんな人がいる。
ただこの方達との接点は、仕事での関係なのでプライベートではどんな人なのかはあまり知らないが、仕事での人柄はよく知ることができる。
一緒に仕事をすると業務や態度が「丁寧な人」「雑な人」「配慮ができる人」「無神経な人」「肯定的な人」「否定的な人」「ポジティブな人」「ネガティブな人」がいる。
特に「この人がダメ」と言う話ではなくて、こう言う人たちがいるって話で、この人たちの中でも「すごく仕事ができる人」と「まったく仕事ができない人」がいる。
「よく考えている人」と「何も考えてない人」
ただ、この仕事ができる・できないに関しては能力の差ももちろんあるんだけど、根本としては「よく考えている人」と「何も考えてない人」の差と感じる。
いわゆる「仕事ができる人」と一緒に仕事をするとプロジェクトの細部まで思考が張り巡らされており、リスクヘッジもしっかりしている。一言で言うと「用意周到」な感じ。
「仕事ができない人」は行き当たりばったりで、トラブルや課題が目の前に現れるとすぐに停止してしまう。
つまり「〇〇だと、●●になる」などの予測やその対応方法を考えていないことが多く、思いつきで突っ走って事故る人が多い印象なのだ。
ただ例外な人も存在していて、どんなトラブルでも一瞬で解決してしまうハイパーな方もいる。ただこれはセンスや経験値の差なので真似しようとしても真似できないのが実情。そういう人、本当に羨ましい。
話が逸れたが、「仕事ができない人」=「何も考えていない人」と解説しているが、本当は何かを考えているけど本質を突いていないから「何も考えていない、考えられない人」と思われているのかもしれない。
本質はプロジェクトや業務のKGIやKPIによって違うので、それぞれに理解する必要があるが、ようは「成果に直結すること」を突き詰めて考えていけば良いということなんだと思う。
自分は「仕事ができる」「仕事ができない」なんてことは考える必要ない
はっきり言って「あの人は仕事ができる」「私は仕事ができない」なんて考えること自体、無駄です。
「じゃあ、なんでこの記事書いたんだよ」と思われますが、自戒を込めて書いてます。もう一度言いますが「あの人は仕事ができる」「私は仕事ができない」なんて考えることは時間の無駄です。
それを考えたところで自身のスキルが成長するのか?考えが深まるのか?答えは、何にもなりません。
自分を否定する、もしくは自分よりも評価の低い人間を探して安心できる、自分はまだマシだと思えるだけです。ようは自己満足なだけで、何も解決しません。
少しでも「自分は仕事ができない」と思うなら行動するしかありません。「そんなこと知ってんだよ!」と思いますが、もうこれしかないんです。
簡単に行動できないことは知ってますし、こう言ってる私もできているかと言われればほとんどできていません。でも考えて落ち込んで塞ぎ込むくらいなら少しでも何か行動することかなと思います。
勉強でもいいですし、気持ちを上向きにすることでもいいです。なんでもいいから行動することで、仕事につながる良いアイデアが生まれることがあります。
「仕事ができる人」の特徴
先述したように「仕事ができる人」は本当に色々なことをよく考えています。「そんな領域まで知見があるんだ!」と驚かされる人もいます。
そういう人たちの特徴は共通して、雑学が大好きなんですね。本当にどうでも良い知識から本当に役に立つ知識まで幅広く知っている。
以前「なんでそんなことまで知ってるんですか?」と質問した際に印象的だった回答は「なんでも面白くとらえちゃうんだよね」ということ。
最初は「この人おかしい」と思いましたが、よく考えるとなんでも興味を持つことで学習スピードが上がるんだな、と言う自分なりの結論に至りました。
私の話で恐縮ですが、私は現文や古文の成績はクラスでも下位でしたが物理と数学だけは成績が良かった。理由は簡単で好きで興味がある学科だったから。
何でもかんでも好きになることや興味を持つことは難しいことかもしれないが、できるだけ「なんでだろう?」という姿勢から入ってよく考えてみる癖をつけることがまずは大事かなと思います。
「面倒だな」や「好きなことだけしたい」と思っているのであれば、それ以上の成長やこれまで抱えている劣等感は一生消えないと思っています。
面倒くさいけど、ダルいけど、好きなことをしたいけど今の劣等感を少しでも感じたくなかったら、努力してみることが重要だと思います。
負け癖がついてしまうと厄介
ここでの負け癖の定義は『すぐ諦める』『自分はどうせ…』『自分はまだマシ』と何にでも理由をつけて、自分を正当化して何も行動しない・何も考えないことだと思ってます。
この負け癖は簡単についてしまうし、日常のあらゆる場面でついてしまう機会が訪れるのでかなり厄介だ。
また、負け癖は無意識に癖がつくので気づいた時にはもうそれが自分の中では一般的というか常習的になってしまう。
僕も負け癖が無意識についていて、今この癖を治そうと四苦八苦している。僕の負け癖は主に、
- 毎朝のジム通いが続けられない
- 早起きができない
- 毎晩のヨガが続けられない
- 困難なことに遭遇すると、気持ちがすぐ逃げの姿勢になる
- 面倒くさいことは楽して過ごそうとする
- 今やれば後が楽なのに、後回しにしがち
こんなに負け癖がついてます。
もしかしたらこれはほんの一部で、本当は気づいてないだけでもっと多いかもしれません。
このように日常的に負け癖がついてしまう機会は多いので、意識して過ごすことが大切と言うことです。
意識することで何かしらの行動につながるきっかけを生むことになるし、意識すると無意識に色々な事を考えるので「意識する」というのは大きな一歩かもしれない。
日常的に考える事で負け癖をつきにくくする
日常的に何かに「意識する」と仕事でも自然と取り入れていけるのかもしれない。偉そうな事を言いますが、人間って考え続けないとダメになるんじゃないかと思ってます。
仕事のことを考え続けると言うわけではなくて、モノゴトを深く思考できるように常日頃、意識しておけば小さな考えから行動に結びつくと思ってます。例えば、
- 「今日のランチはマルゲリータが食べたい」
- 「ピザの生地ってどうやって作るんだろう」
- 「こうやって作るのか(ドライイースト、全粒粉など色々ある…)」
- 「簡単そうな生地から作ってみよう。トマトソースはどうしよう」
- 「トマトソースは作るのが難しそうだから市販のソースにしよう」
あまり良い例ではないですが、
上記のように「今日のランチはマルゲリータが食べたい」と意識した後に多くは「レストランに行こう」や「宅配ピザにしよう」となりますが、2.以降のように少しでも深く考えてみると良いかもしれません。
こうのように小さなことでも「なぜ?」「なにで?」「どうやって?」などのようにWhy、What、Howで色々考える癖をつけるだけで、色々大きく変わってくるかもしれません。
私もこの考え方を数年前から意識することで、多少は変わったと思います。何も考えずに発言する(今思うとイカれてる)こともなくなりましたし、逆に熟考した上で中身のある議論や発言ができるようになった気がします。
まとめるとこう言うこと
色々考えていろんな人に会った結果、「仕事ができる人」になるためには、常に考えて行動し続けるしかないって結論に至りました。
現に仕事ができる人って思考と行動が止まらない人です。周りから見ればものすごくバイタリティのある方と思われますが、もしかするとそう思ってる側の人たちが動かなすぎ、行動しなさすぎなのかもしれません。
大人になって何かを積極的に行動することは恥ずかしいとか、(体裁を気にして)大人がする事ではないと勝手に思い込んでしまったかもしれません。
大人とか関係なしに思い立ったら吉日と思って、なんでも積極的に考えて行動するべきなんだなと自己完結してます。
そうするといずれは、なりたかった「仕事ができる人」になっているかもしれません。